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坂本龍馬ゆかりの地 京都 一覧

三十三間堂の南側にある南大門のあたりは龍馬とおりょうの初めて出会った場所といわれています。

南大門

1864年の春、南大門の南にあった河原屋五兵衛の隠居所に隠れ住んでいたのが坂本龍馬、中岡慎太郎を始めとする土佐藩士たち。

そこに住み込みで賄いさんとして働いていたのがおりょうの母の貞。

おりょうは近くで働いていて度々母親のところへ来ていたので、ここで龍馬と出会うことになりました。

三十三間堂

方広寺にも龍馬は出入りしていたそうですから、三十三間堂や方広寺もいっしょに見ていきましょう。
(当時、三十三間堂は方広寺の境内の一部でした。)
千手観音坐像と千体千手観音立像が整然と並ぶさまは圧巻です。

うちと龍馬はん坂本龍馬おりょう、桂小五郎、高杉晋作などの衣装を来て京都の街を歩くイベントが開催されました。

後援は霊山社中・京都府・古都に燃える会・きよみず産寧会など。

龍馬のお墓がある京都霊山護国神社で着付け等をしたあと、観光客でいっぱいの清水の一念坂、二年坂・産寧坂をパレードするというものです。

最後に霊山護国神社のとなりの霊山歴史館へ戻り、記念撮影をし、ついでに館内をじっくり見学します。

衣装は全部で300人分が用意され、大行列となります。

そのうち、龍馬の衣装は50人分。

豪華な太夫の衣装を着る場合は着付けやメイク、髪結いなども本格的に。
(値段も上がって25000円になりますが)

龍馬やおりょうの衣装は10000円。

自分で用意して参加するなら参加費2000円で済みます。

着物で歩く坂本龍馬ゆかりの地
きっとまったく違った景色に見えるはずです。

2010年は5月30日に開催されました。

【概要】
坂本龍馬をはじめとして幕末維新期に活躍された志士たちの眠る京都霊山護国神社にて、
幕末期を感じさせる時代衣装を身にまとい、東山周辺から魅力あるコースで行うパレード。
年齢性別は問わず参加ができ、京の町を歩きながら、その歴史や文化に触れ、楽しんで頂くことを目的だ。
ゴールの幕末維新ミュージアム・霊山歴史館では、貴重な展示物から幕末期の史実を学んでもらうほか、会場およびコースに撮影ポイントを設け、時代扮装をした参加者と撮影会なども行う。

霊山観音の南側から霊山護国神社、霊山歴史館へと登る坂道は、維新の道と呼ばれています。
坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、武市半平太ほか幕末に国に殉じた志士500人以上が霊山のふもとに眠っています。
維新の道
志士たちが度々会合をした「翠紅館」はいまは料亭京大和となっています。
三条実美、桂小五郎、坂本龍馬、武市半平太、井上聞多、久坂玄瑞、桂小五郎、真木和泉守らが出入りしたことが知られています。
京大和
三条通の東山ユースホステルの前に『坂本龍馬 お龍 結婚式場跡』の新しい碑が立っています。
東山ユースホステル
青蓮院の塔頭「金蔵寺」があったところです。

30歳の龍馬と24歳のお龍はここで内祝言を挙げました。
1864年8月1日、夏の暑い日のことです。

「8月1日の夕方、坂本が帰ってきました。で、金蔵寺の住職智息院が仲人となって本堂で、内祝言をして、始めて新枕、幾千代までもと契りました。」
再婚して横須賀にいたお龍さんが昔を振り返りこう語ったそうです。

伏見寺田屋事件はこの1年半後に起こります。
そのあと龍馬とお龍は薩摩へ「新婚旅行」に行くことになります。


所在地:京都府京都市東山区三条通白川橋東入五軒町112
アクセス:京阪京津線・地下鉄東西線「東山」駅下車。三条通を東へ5分

薩摩藩二本松屋敷は坂本龍馬や西郷隆盛が1866年に「薩長同盟」について語った場所。

寺田屋で襲撃された龍馬が伏見藩邸から担ぎ込まれた場所。

薩摩藩が相国寺の敷地を借りて1863年に建設されました。

明治維新後取り壊され、いまは同志社大学今出川キャンパスになっています。

薩摩藩邸跡

2010年にその薩摩藩邸の絵図があることが確認されニュースになりました。

烏丸通と石橋通の交差点の北東にL字型の大きな屋敷が広がっていて、200戸以上の部屋が通りに面して配置されていたことがわかります。


11/26〜12/22の間、同志社大学今出川キャンパスの「幕末と同志社」展で見ることができます。
入場は無料です。

同志社大学西門前に、薩摩藩邸跡の碑が建っています。
近くに西郷隆盛邸や薩摩藩家老小松帯刀邸もあったと言われています。

江戸時代のはじめから明治4年まで土佐藩邸があったところです。
土佐藩邸跡
土佐藩邸は高瀬川から河原町通まで大きな1ブロックを占めていました。

1863年の冬、坂本龍馬は勝海舟の取り成しで脱藩を許されて、7日間この土佐藩邸に幽閉されました。

ただ、上士の役人ばかりの藩邸を龍馬は嫌がり、その後もほとんど滞在することがなかったといいます。

いまは高瀬川に面してレトロな立誠小学校の校舎が建っていますが、1993年に廃校となっています。 立誠小学校
龍馬はこの高瀬川を舟で何度も行き来したはずです。 高瀬川
高瀬川に架かる「蛸薬師橋」を渡って木屋町から河原町通りに向かう途中に土佐稲荷があります。 土佐稲荷 小さなお稲荷さんです。

江戸時代には土佐藩邸内にありましたが、明治20年に現在地に移ってきました。
土佐藩士や近隣の人々からも信仰の厚い神社だったようです。
土佐稲荷
坂本龍馬も祀られており、龍馬の銅像が立っています。

龍馬にあやかろうと銅像を刻んで持って帰る人が多かったので、銅像はめちゃくちゃな無残な姿になっていましたが、最近になって新調されました。
土佐稲荷
近江屋
ここ近江屋の二階で坂本龍馬は暗殺されました。

いまはサークルKになっていて、事件のあった二階のあたりを眺めてもなにも見えてきません。

サークルKで天井を見上げて泣いている人がいたら、とても想像力の強い人だと思います。

店のわきには「坂本竜馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑が立っています。

11月15日、龍馬は宿にしていた河原町の蛸薬師で醤油商を営む近江屋新助宅母屋の二階にいました。
当日は陸援隊の中岡慎太郎や土佐藩士の岡本健三郎、画家の淡海槐堂などに訪問を受けています。
午後8時頃、龍馬と中岡が話していたところ、十津川郷士と名乗る男達数人が来訪し面会を求めて来ました。
元力士の山田藤吉が客を取り次いだところで、来訪者はそのまま二階に上がって藤吉を斬り、龍馬たちのいる部屋に押し入りました。
龍馬は帯刀しておらず、龍馬はまず額を深く斬られ、その他数か所を斬られて、ほとんど即死に近かったそうです。
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近江屋

京都府京都市中京区河原町通四条上ル

阪急京都線河原町駅からすぐ

池田屋の写真
龍馬酢屋に落ち着く3年ほど前に起きた池田屋騒動。

尊王攘夷派の志士たちが集まっていた池田屋を新撰組が襲った有名な事件です。
近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助らがまず踏み込んだと言われています。

1864年6月のこと。

酢屋からひと筋違い、2分ほどの場所にあります。

碑のある建物はいまは居酒屋さんになっています。

池田屋

京都府京都市中京区三条通河原町東入中島町82 申和三条ビル

京阪本線三条駅 徒歩4分 
地下鉄東西線京都市役所前駅 徒歩5分

坂本龍馬寺田屋で襲撃された時に、油掛地蔵を経て、逃げ込んだ材木小屋がこの地にありました。
このとき龍馬は左右の親指を切られ、負傷していました。

そのあと薩摩藩に救助され、川船で薩摩藩邸へ運ばれました。
現在は、石碑が立っているだけです。

伏見の濠川はクネクネと人工的に曲がっていて現代的ですが、元は伏見城の外堀で、龍馬の生きた時代にはすでにこのような水路でした。
龍馬が何度も行き来した水路なので、水路沿いを歩けば龍馬の目に写った風景が見えるでしょう。

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